結婚披露宴

自分たちの金で、自分たちの考えでやったことなら、もしそれが間違っていたと後でわかれば多分二度とあやまちは繰り返さないだろうし、それなりの人生観や知恵はつく。それが、親の金、親の考えにただ漠然と乗っているだけでは、そのときはのんきでも、あとで嵐が来たときにそれをかわすだけの知恵や力がつかないのだ。不思議なもので、結婚披露宴の料理をいろいろ考えたすえ、中くらいのものを選んだが、その後もぼくたちは何か品物を選ぶとき、最高の値段のものはわざと避けて、それより一つか二つ下のものを買うことにしている。値段の最高のものなんて、なんだか空おそるしくて買う気がしないのだ。そのかわり、いつも二分か三分の余裕があって、気分的にはとても楽だ。その気分の楽なところで努力をすれば、前以上に余裕が生まれることは確実だし、前にあきらめたものを手に入れることもけっして夢ではない。考えてみれば私たちの結婚は、一茶の句みたいなものかもしれない。あなたはここで→出会った人に対して、自分の理想を演じずに本当の自分をぶっちゃけられますか?私たちの結婚が中くらいのめでたさなのかどうかは、そう簡単にきめてもらっては困るのですけれど、性格の違う者同士がよくここまで一緒にやってきたものだと、それだけは時々感心することがあります。うちの亭主は未年生まれの牡羊座、十二支や星座のことはよく知りませんが、きわめてのんびりした性格です。良くいえば泰然自若、物に動じない大人(たいじん) の風格があるというのでしょうが、悪くいえばのろまです。

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ぼくが結婚したころ

ぼくたちが結婚したころの昭和三十年代には、自家用車を持つことや観光のための海外旅行に行くことなどは、大変なぜいたくだった。あれからわずか二十年そこそこなのに、車を持ったり外国旅行にでかけることをぜいたくだなどといったら、みんなから笑われるだろう。もっとも、その当時のハワイ旅行の費用は今の二倍の四十万円くらいで、月給は大学卒の初任給が五分の一の二万円くらいだったのだから、ひどく割高に思われたのも無理はない。おまけに一ドルが三百六十円、闇ドルは四百円も四百数十円もしていた時代だった。感覚的にいっても、ハワイ旅行などは今ぼくたちが感ずるのより十倍も二十倍も行きにくい、いうなれば高嶺の花だったのだ。逆にいえば、あのころにくらべて、今は二十分の一も割安になっているといえよう。自家用車にもこれとまったく同じことがいえる。結婚に悪いイメージを持っていても、一歩踏み出してください!結婚相談所 選び方 から結婚相手を探せば、あなたに合った探し方も探せるので不安や悩みも解決してくれるサービスを見つけられます。あのころT社の小型車で七十数万円だったのが現在は百五十万円くらいだから、物価や月給の上昇とくらべ、感じからいうと半値またはそれ以下で買えることになる。ぼくたちが結婚したころ、外国旅行も自家用車もとうてい買えるような身分ではなかった。しかし、だからといって今の若い人たちが気前よくそれらの物に財布のひもをゆるめることを、ぼくたちはぜいたくだといって目くじらをたてるべきではないと思う。ただ先輩として、一言いうならば、何事も自分たちの手の届く範囲で計画し、実行することだ。

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結婚そのもの

となると、この豪勢な新婚生活もさっきとは別の意味で心配になってくる。こんな結婚は、結婚そのものが問題で、いくら経済的に恵まれたとしても願い下げだ。素敵な結婚相手を出会い系 サクラいない で、見つけても結婚後に問題は発生した場合、ここに書いてあるように意外と改善に手間がかかります。気を付けましょう。なぜといって、こういう結婚は初めのうちはいいとして、次第に尻っぽみになる確率が高いからだ。なんでもそうだけれど、,最初は苦労してもいいから、先に行くにしたがってだんだん良くなるほうがいい。若いうち貧乏なのはちっとも恥ずかしいことではないし、年をとってからのそれにくらべてもずっと苦痛が軽いものだ。若いうちなら固い、ヘッドに寝ても平気なだけの体力もあるし、たとえふところが寂しくてもへこたれないだけの夢がある。ケインズの経済法則の中に、人間は一度経済を膨張させてしまうと、今度はそれを縮小させることがむずかしいというのがあったと思うが、日本でも昔からぜいたくをいましめる言葉が非常に多い。他人が高級住宅に住んで運転手つきの大型車などを乗り回しているのを見れば、うらやましいと感ずるのは当たり前だが、先の例ではないが、こちらがうらやましいと思うほど向こうではその生活に満足しているかどうかはわからない。しかし、ぜいたくをしてはいけないというものの、このぜいたくというのは、時代によってその水準にかなりの変化をきたすものだから、一概にあれもいけない、これも駄目というのは間違っている。

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新婚旅行

式は、もちろん代々木八幡神社である。料理は中くらい、招待客は同門の作家を中心として、結納はめんどうだから省略、費用は折半、そのかわり新婚旅行は当時としてはちょっとぜいたくに神戸から船で別府へ行き、長崎、雲仙、阿蘇と回って、飛行機で奈良へ出るコースを自分たちで作った。これを読んでいれば、ここ→で、出会った人はあなたから離れられないかも。すべて二人で相談し、二人の予算の範囲で決めてしまったので、「二人で勝手なことばかりやるので、困ってしまう」と親たちを嘆かせた。今になってみれば、結納もちゃんと入れ、親戚縁者も大勢招待して親たちの義理や体面も充分満足させるべきだったかもしれないなどと思うのだが、あのころは、結婚するのはわれわれ自身なんだからという妙な気負いがあって、すべて合理的に事を運んでしまった。最近、すべて親がかりで都心の一流ホテルに五百人からのお客を招待し、旅行は世界一周、都内にマンションを買ってもらい、外車を乗り回している新婚さんを知っているが、若いうちからこんな生活をしていいのだろうかと、他人のことながらちょっと心配になってくる。ただ、その後聞いたところでは、この花婿さんの親は会社を経営していて、このところ不況であまり景気がよくないため、できるだけ多くの関係者を招待して起死回生を図る必要があったのだそうだ。つまり、豪華な結婚式も会社の宣伝、企業のコマーシャルだったわけだ。また、素敵なマンションや外車を買い与えたわけは、これも会社を経営する花嫁の父親の援助を期待してのことだった。

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結婚記念日

六十、七十の、いわゆる旧憲法時代に成人された方ならいざしらず、まだ二十代、三十代のホワイトカラーたちが、現在の戸籍についてその程度の知識しか持ち合わせていないのかと、ちょっとびっくりしましたが、でも法律が改正されてまだ三十年そこそこでは、あるいは無理のないことかもしれません。もし、あなたが恋愛向きなら、出会いがない 社会人 ←ここで将来の結婚に向けて経験値を増やしましょう。このあいだ、スイスのチューリヒにあるヨーデルで有名なレストランで、名物料理のフォンデュと歌のすばらしさにうっとりしていたら、突然、バンド・リーダーの口からぼくたち夫婦の名前が出たのでびっくりした。「みなさん、今夜は日本からお見えになったお客さま、平岩ご夫妻の第十九回目の結婚記念日です。お二人がいつまでも幸せであることをお祈りいたしましょう、おめでとう.:…」それを合図に二人の名前入りのケーキが運ばれ、ダンディな中年のバンド・リーダーの音頭で『幸せなら手をたたこう』の合唱がはじまった。あとで聞いたところによると、このアイデアは同行したぼくたちの友人の一人から出されたものだったが、そのときは場所がスイスだったことと、まったく思いがけないことだったのとでいささかどぎまぎした。でも、うれしかった。最近では、結婚して何年などと数えたこともなかったので、(へえ、もうそんなに経ってしまったのか……)と思った。四月の三日が、ぼくたちの結婚記念日だ。二人の共通の恩師長谷川伸先生がご高齢なので、なるべく先生のお宅の近くと思って、高輪プリンスホテルで披露宴をした。

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結婚に至る経緯

その最初の応用問題がこの平岩弓枝との結婚だったような気がする。そして、ぼくは今でもこの時のぼくの選んだ道に後悔はしていない。一人息子と一人娘が結婚にいたる経緯については、亭主が微に入り細をうがってのべているので、私からとくにいうことはありませんが、伊東も書いているように、これからはこの問題で悩む人たちがますます増えることは間違いありません。法律の上ではいくら男女平等をうたっていても、長い間続いてきた男は主、女は従という考え方をそう簡単に変えることはできないのです。たとえ、ある進んだ男性がいて女性の姓を名乗ることに平気だったとしても、世間がこの男性を見る目は案外きびしく、やれ養子だの女房の尻に敷かれているのといった具合です。自分を作り過ぎずに結婚相談所 比較 で、素敵なパートナーを見つけよう。それとこれとはまったく関係のないことだし、むしろ改姓したくとも世間の眼を気にしてできない男性のほうが意気地がないといえるのですが、その点、世間なんて仕方のないものだなと思います。数年前のことになりますけれど、私の身内の男性が結婚することになったのですが、やはり相手が一人娘さんで、どうしてもご両親が改姓に同意してくださらない・男性のほうはさいわい三男坊で、姓を変えることは一向にかまわなかったのですが、なかなか彼がウンといわず、すったもんだしているうちにお互いの熱もさめたのか、ついに破談になってしまいました。「どうして改姓しなかったのよ・あなたが別に困ることなんか何にもないじゃないの」と私がなじりますと、「だって会社の連中から、おれが養子にいったなんて思われたらしゃくじゃないか」と彼はいうのです。

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結婚するからには

先生はうしろをふり向き、台所の奥様に、「おおい、親方、伊東君が平岩君と結婚するそうだよ」と大声でいわれた。親方というのは先生が奥様を呼ぶときの通称だ。「ところで伊東君、平岩君は嫁にいってもいいんだろ」「は?「今のお宮はどうしても世襲しなければならんというもんでもないだろうし」ぼくは、しまった、と思った。実はこのとき、まだ例の改姓の話はしてなかった。先生を説得するための二の矢としてまだとっておいたのだ。先生がそのお考えなら、あえて改姓なんかするんではなかったなどと思いながら、あらためてそのことを打ちあけると、先生は、「それは良かった……」と何度もうなずいてくださると同時に、ぼくの母のことを心配してくださった。先年寡婦になったばかりの母が寂しい思いをするのではないかというのである。先生の奥様までが、「伊東さん、よく決心したわれえLと感心されたのにはいささか閉口した。ぼくの本心は改姓などしたくなかった。経験値を上げるにはまず相手がいないとね。ここ→から候補をたくさん探せるよ。しかし、よく考えてみれば、愛し合って結婚するからには自分を無にしてすべてを与え合うのは当然だし、相手が困ることがあるのなら譲ってやるのもまた当たり前のことだった。よく考えて決めたことだから、ぼくは後悔はしなかった。長谷川先生からぼくが学んだことは多いが、何か人生の岐路に立ったら、自分の頭でよく考えろ、そしてこうと決めて歩きだしたらけっして後悔するな、ということも教えていただいた。

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結婚を通して

長谷川先生は幼いときに母と別れ、その後苦労して新聞記者から作家になり一世を風座(ふうび) した方だった。それだけに人間の心の動きのすべてに精通していて、先生の前ではいささかの誤魔化しも通用しなかった。そのかわり、先生のご了解さえ得られれば、他の先輩たちに納得してもらうことは比較的容易だった。ここを読んで理解したらここ→で素敵なパートナーを探しましょう。・ぼくにとって長谷川先生は最大の難関であると同時に、この結婚を通してぼく自身の生き方を試されているようなものだった。先生はぼくの生き方のいいお手本だったし、物差しだった。もちろん先生の何十分の一のこともできないのは当然だが、ぼくはぼくなりにできるだけ自分勝手な考え方を排し、相手のことを思いやる形をとらなければならなかった。ぼくが改姓しようと決心したのも、実はこんなことがあったからだった。ぼくは汗をかきかき長谷川先生に、今まで何度も予習してきた文句を伝えた。ぼくはどちらかというと内気で引っこみ思案のほうだったが、このときばかりは、人生の大事なポイントだと思い、かなり気負っていたように思う。先生は炬燵の向こう側から終始おだやかな微笑を浮かべながら、ぼくの話を聞いておられた。そして、一通り話がすむと、「ぼくも、君たち二人が一緒になると思っていたよ」とおっしゃった。ぼくはその一言で、いまにもパンクしそうなほど張りつめていた気持がふっとゆるみ、急に体が軽くなった。

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結婚する男性たち

このため、家を相続する権利のある長男やそれにかわる男子、あるいは、養子をもらう立場にある家つき娘の力や社会的地位などが強くなった。昔の嫁の立場が、今などにくらべるとずっと弱かったことは、誰でも知っていることだが、それと同様、養子の立場も弱かった。だから、どうしても養子というと昔ながらの暗いイメージがつきまとい、世間もそのように受け取っているので、いくら法律が変わったのだからといっても、これから結婚する男性たちは改姓して女房の姓を名乗ることに激しい抵抗を感じざるをえないのだ。つまり、男にも世間体というものがある。実際はそうでなくても他人から少しでもそう思われることはいやなのだ。現代では、まだ世間一般の風潮として、結婚したら男が改姓するより女が改姓するほうが自然だという考え方があるのではないだろうか。そのため、相手が次男、三男、こちらが一人娘でも、どうしても男のほうがいやだといって、ぼくの友人の娘さんのように、仕方なく改姓する場合も少なくないのだ。素敵なパートナーにで、出会っても幸せに付き合うには努力が必要です。こんなことを書くのも、実は、ぼく自身がこの問題でいろいろ苦労したからだ。ぼくは三人兄弟の長男であとの二人は女、女房はたった一人の長女だった。結婚前、いったいどちらの姓を名乗るべきかについて、ずいぶん考えたし、迷った。ぼくは女房とは結婚したかったが、養子などになるのは真っ平だった。第一、子どものころからそんなことを夢にも思っていなかった。ぼくの両親だってそうだ。まさか長男が養子にいくなんて考えてみたこともなかったろう。

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結婚する男女

これと逆に、結婚するにあたって、相手の女性の親から改姓を求められ、いったいどうしたらいいかと私のところへ相談に来た青年もあった。また、前の友人と同じような立場にある見知らぬ母親から、どうしたらいいかという相談の手紙をいただいたこともある。これは今の法律が、結婚する男女は、お互いにどちらかの姓を名乗らなければならないところからきている。一人息子と一人娘が結婚する場合、このうちどちらかが親からもらった姓を捨てなければならないわけだ。今の法律では、夫婦は親の戸籍から独立して、新たに自分の戸籍を作るわけであり、その名前も事務処理上の便宜を考えて、二つの中のどちらかを選ぶということなのだし、戸籍の筆頭者といっても別になんの権限や特権があるわけではない。にもかかわらず、これから結婚しようという男女、とくに男性のあいだで改姓することに対する抵抗感が強いのは、古い時代、とくに江戸時代以来の考え方や習慣がまだ国民の意識の中に根強く残っているからなのだろう。出会いのチャンスはここにあります。→が、そこから先は自分で頑張らなきゃならない。ここを読んでいるあなたなら大丈夫。今から二、三百年前の封建体制が確立されていた時代には、日本での経済の基本は米であり、それを生産する土地というものが最も大切な財産だった。しかし、ご承知のように日本は島国であって、土地の広さには限りがあるから、大名、農民を問わずこの土地の相続権というのが非常に大事だったわけだ。また、鎖国という外に向かって閉ざされた経済、政治体制の中で平和を維持しようとすれば、世襲制という制度が最も安全であり、便利だったため、法律でもこれを保護し奨励した。

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